2023 0926

涼しくなってきて過しやすい。昨日から弁当は公園でとっている。蝉は鳴かなくなったし、日中も気温を30℃をてっぺんに落ち着いている。8月の屋外は狂気だった。夏なんてのはクーラーの心地よさを味わうための装置でしか無い。あんな暑さに、ノスタルジーも糞もない。幼い頃、夏がいいものだと無条件に思えたのは、夏を盛り立てる装置や機会に溢れていたからだ。花火やプール開放、海、アニメ特番が夏を夏らしくしてくれていた。秋はこちらから何もしなくていい。ただ存在していることを肯定されている。真夏から読み進めている多和田葉子の『雪の練習生』とジョイスの『若い藝術家の肖像』がもうすぐ読み終わる。今日読んでいて、この一節にぶつかった。「人間の魂というのは噂に聞いたほどロマンティックなものではなく、ほとんど言葉でできている。それも、普通に分かる言葉だけでなく、壊れた言葉の破片やなり損なった映像や言葉の影なども多い。」『雪の練習生』p,204 この2冊は付箋を貼りながら読むようにしている。こうして日記の材料にする為にでもあるし、再読した時にそこの付箋を貼った自分やその文章と出会い直す為でもある。何だか収まりよく書いてしまった。