2023 0408

 この所、身体の調子が悪い。不愉快だ。4月になって、この温かさに勢いづいた草花、生き物がわんさか出てくる。昨晩、日中に迷い込んだであろう蜂がフローリングの上で死んでいた。これだから4月は嫌いだ。虫が嫌いというわけで無く、勢いづいてくるのが鬱陶しいのだ。自宅の駐車場横の植え込みに、紫色の花を先につけた雑草が繁茂していた。引っこ抜いてやった。春を討ってやった。雑草を殺しただけでない、春を殺してやった。花を咲かせ、虫を羽ばたかせる春に4月に対する憎悪を、右手に込めて引っこ抜いてやった。

2023 0325

 今週と来週は何も予定を入れずにいようと思う。人とも会わないし、自分ひとりで何処かに行くこともしない。その方が良い。3月10日くらいから、ぼんやりとした眠気がある。花粉症では無いと思う。3月は慌ただしかった。恭平さんに会い、隆行に会い、仲野先生と奈緒ちゃんに会い、昨日は上村さんと鶏小屋を作る為の打ち合わせをした。そのどれもが、その場で終わらずに、次はどうしよう、どこへ行こう、ここへ行こう、という話になっていて僕は嬉しいけれど疲れた。苛立ちも悲しみも疲れるが、嬉しいも疲れる。

2023 0323

 今日会った人間もこの前会った人間もどいつもこいつも恋愛の話をする。これは嫉妬でもやっかみでもない。僕にとって積年の謎なんだ。巷では恋愛が流行っていて、若者を中心に話題になっている。まずもって交際ってなんだ。それにピンときていない。分からん。分からん事は調べたらいいのだけど、調べても分からん。検索すると恋愛テクニックとかが出てくる。テクニック以前に、本丸である恋愛が分からん。誰に教えられて皆さんは恋愛してるんですか。俺、彼女がいた時間もあったけど恋愛っぽいピンク色でフワフワしている感触は、全然無かったで。恋愛って何ですか。分かった方いましたら、お教えください。

2023 0320

 TOHOシネマから道頓堀に伸びる通りを、そのまま進む。その途中、建物2階にあるコメダで僕は彼を待っていた。ガラス戸の向こうに見えた彼は右手にスケボーを持っていた。少し話して店を後にした。聞くとベルトを探しているらしく、食事もその辺りで取ることにして、アメ村へ行くことになった。

 Apple Storeを左に曲がって道幅が狭い、いつ轢かれてもおかしく無い道を三角公園の方へと僕と彼は横に広がって進む。彼の目当ての店に着いて、すぐに自分の居場所が無いことに気づいた。ひとり店を出て、通りに立った。手持ち無沙汰なので携帯を開く。この後に行く店を調べる為に、携帯を持つ自分の手に役割を与える。その後、調べた店に行くことになるが、貸切のパーティだった。

 結局、その店の近くにあるイタリアンに入った。白色に塗装された壁と、剥き出しの柱や梁を見た。僕と彼は入り口近くの席に案内された。2階まで吹き抜けにしていて、とにかく天井が高かった。火の点いた花火が立てられた皿を片手に、ウェイターが奥の席に行く。たぶん、誰かの誕生日だ。それを見て音の無い拍手をしている女がいた。その後、女の席にも同じように火花が散らしながらウェイターがやって来た。

2023 0319

 『八月の光』と『百年の孤独』を読み終えたら、メルヴィルの『白鯨」を読みたい。2ヶ月くらいゆっくりしたい。それから、また色々と進めたいし力を込めて(時には力んでもいい)ものごとを決めて行きたい。今は草臥れてしまっている。といっても、やるべき事はやっている。仕事、鶏の世話、小屋建設の段取がそれにあたる。立ち止まって何か考えたり休めるのは贅沢なことだ。僕もこれまでそうだった。鳥取を出て、早一年経つ。どこにも行けず、止ることも出来ずに 今日があり今がある。このまま、黙ったまま目元を陰らせて、口にはしない恨みを生活に差し向けて過ごす事も出来るにはできる。その方が楽な分もある。要は、今のままの働いている方が被らないで済む面倒が沢山あるということが言いたい。

2023 0317

 悪い方向というか、「なるようになって壊れてしまえ。」と不安とか絶望(あんまりこの単語は好きじゃ無い)のやりたいようにやらせても上手く行くはずが無い。それが本当の絶望を生む。そこをなんとか堪える。踏みとどまる。希望(この単語も好きで無い)は手作りで生み出すしかない。編むしかない。本当に自分1人でしか編めない。代わりに編んで貰ったものでは寒さに持ちこたえられない。1人だ。沢山の人の只中で本当に1人だ。驚くほどに1人だ。比喩のしようが無いくらい1人だ。何かがあるから踏み留まることが出来るわけではない。踏みとどまるという行為でしか踏みとどまることはできない。擲つことは簡単だ。ただ死ぬのは難しい。たぶん出来ない。親は、今の面倒臭さに安住していて、僕は僕自身が馬鹿みたいに思えてそれが切ない。この前公園で、それまで弄っていた携帯から顔を挙げ、声をあげてボール遊びに興じる娘を見る母親がいた。その笑った目線は娘に注がれていて、その横顔は2人の関係を余すこと無く僕に伝えた。社員旅行を休む旨をメールに入れた。「アイツ来なかった。」と周りから思われるのを、きっと自分は気にするんだろう。情けないな。それに苦しむのを受け入れるしかない。そうなる選択をしたのだから。周りからの目を気にして職場で過すのか、旅行を我慢で過すのかの2つに1つだ。単純で残酷だ。それで、前者を選んだ。それだけだ。自分の意思表示に僕は癒やされた。「あなた方 ーもっと言えば組織の醸すものにー 休みを返上してまで触れあいたくないです。」と言っているようなものだ。全身で表現したつもりだ。社内でどう受け取られるか分からないが、これはきっと小さい問題ではない。新入社員が旅行に来ないのだ!そのことの影響を、こちらが考慮する必要は最早無いだろう。これまで黙殺されてきたんだ。こちらが1回や2回、見向きもしないで切ったところで組織はビクともしない。それに別に社内旅行に行こうが行かまいが、会社の利益に何も関係ない。そう考えるのは短絡か。確かに、キャンセルの都合はあるだろう。そこだけが業務を増やして申し訳ない。あぁ何だか申し訳なくなってきた。これまで急にキャンセルをして迷惑を掛けてきた。じゃあ、最初から社内旅行には行かない!と言えたか、いや、言えなかった筈だ。迷惑を掛けて休む。申し訳ない。休む。その2つだ。約束を取り付けた友人に、これをやってはダメだ。会社だからこんな軽薄で白々しいことができるんだ。やってしまえるんだ。酷いことに変わりないが、反省もできない。友人には、もうできない。そこには反省がある。

2024 0315

自分は時間と感情を売って稼いだ金で時間と感情を買い戻そうとしている。金が無くなればまた、その2つを売る。時間と感情をかけた物を誰に買ってもらうかそれを買った人が何を思うかが大事なのではないか。いい仕事は目につかない。目につかないくらい馴染んでくる。そこにある事を教えてくれない。たぶん自分の足元にも沢山ある。できれば、いい仕事に気づいてほしいし気付きたい。己が励まされ張りが生まれるのはこの人がやったこの仕事のお陰だと思ってもらえていると思える仕事がしたい。どこかで労働というのは関係のことだと読んだ気がする。いい関係を築くことができる仕事のあり方を自らに問うていきたい。とりあえずちょっと休みたい。