2023 0415

・箇条書き

 

・母に料理が脂っこいと言われた。僕は、母が料理に入れている砂糖の量が気になる。

 

・大工の技能は身につかなかった。

 

・少しづつ、鳥取での1年間が何だったのか分かってきた気がする。洗濯、食事、掃除の段取りや手際が格段に良くなっていることに気がついた。自分の食べたい味や量でない時に家族に文句を言いたくないから、自分で作ることにしている。食後の片付けも、1年やったこともあり身体に染みついていた。衝突が起きる状況を予見して、自分に降りかかるダメージを回避することにも気を巡らせるようになっていた。これも、シェアハウスに住んで培われたものだ。その人が過剰に反応してしまう状況を作らないようにすることと、自分が過剰に反応してしまう状況に陥らないようにすることを張り巡らせる。シェアハメイトと家族には、違いはあるけれど転用可能な点は沢山ある。

 

・シェアメイトは、武道をやっていた人間だった。ぬるい環境で、得てきたことはぬるい環境でしか役に立たないと言っていた。鳥取での生活は、もどかしく苦しいことも多かったけれど行って良かったと思う。

 

鳥取で生活に、こういう光の当てをするようになってきている。奈良での生活にも順応し始めている証だと思う。「鳥取から帰ってきた」という期間は、終わりはじめているか、すでに終わっているのかもしれない。

 

・武道をしていた彼と、話す時間が好きだったし重要な時間だった。気のせいかもしれないけれど、彼の文体(彼はnoteに記事を掲載している)がポップになっている気がした。僕と暮らしていたときの記事はもっと堅かったし、固かった。こちらも彼と対面するときは緊張を感じない日はなかったけれど、向こうも向こうで気を張っていたのかもしれないなと思った。

 

僕たちが言葉を語るときに、いちばん生き生きとした言葉というのは、自分が何を言っているのかわからないのだけれど、自分のなかには、それを聴き取って、ちゃんと理解してくれる誰かがいる。そういう確信があるときですよね。」

                         内田樹『街場の文体論』p31