2023 0121

あー結構書いていたのに消えた。自分の興味とか、面白そうとかカッコいいとかを腑分けして疑ってみることしか始まらない気がする。いつまでも、抽象的に思って願って腹立って諦めて冷静なフリをしたり、真剣になれるものなんて何もないと卑下したかと思えば、可能性沢山だ!と焚き付けりして俺は俺自身に疲れてばかり、本当に気の毒だと思うぜ。まぁでも、興味とか夢っぽいやつとか憧れとかは徹底的に殺さないと何度でも捕まえにくる。大工やってなかったら、ずっと「大工大工大工鳥取のあの人の所で大工大工大工やってみろ。やってみたいだろ。夢いっぱいだろ。」と魘され続けてたと思う。だから、自分の興味とか夢とかは、それが本当に中身でいっぱいの期待に応えてくれるものなのか、期待に応えてくらないとしても続けてみると決められる何かなのか、ちゃんと口に入れて食べて飲み込んで、下痢するなり吐くなり美味いのか、不味くてももう一回食おうと思えるのか。どうなんですか。まぁ後は、その日の気分を、「俺はずっとこう思ってて、これが真の俺自身なんだ!」とか思わなくていいよなとも思う。その日に、そういう心持ちの、そういう形の、自分自身が顔を出してきて、それが嬉しくて、俺は本当は常に嬉しい人間だ、常に喜ばしい人間だと思っただけだよな。これは逆も言える。自分はクソクソクソ野糞人間だと思っても、その日その時に野糞人間として自分を思ってただけで、実際、野糞でも現人神でも無い。端的に言えばテンションのことを言ってます。テンションの波の事を自分自身の事だと勘違いしなくていいですよと俺は俺に言う。君はウンコでも光源氏でも無いです。けど、君はウンコみたいな事を沢山してきましたよねとは言う。まぁええわ。寝るわ。おやすみ。