2023 0829

一雨毎に秋が差し込まれていくと言ったのは中原中也で、その言葉を鳥取にいた頃知った。言葉を知ることで眼差しが変わる。使っていない畑で野菜を育てれば、自分を食べさせていくことができ、それは今みたいな生き方を選ばずとも生きながらえることを可能にすると思っていた。今日の自分で作った弁当には、鮭、エリンギ、鶏肉が使われていて、そのどれもが畑で作ることはできない。日中での出来事なぞ書く気もしない。座ってキーボードを叩きトイレの時に立ち歩くそれだけだ。場には慣れてきた。その証左に、気づけば声が出るようになっていた。それまでは自らの存在を小さく目立たなくしようとしていたんだと思う。入って直ぐは、そこに働いていた人達の関係の編み目に編み込まれることはない。自分の糸を伸ばそうとする人や伸ばしてうまく編まれていく人もいる。僕自身は編み込まれたくない、よく分からない社内風土を内面化したくないと意気込んできたし今もそうだ。だけれど、今日、喉が開いて声が出たのは編み目に知らず知らずのうちに縫合された結果なんだろう。この場に自分の声を響かせても大丈夫だったから、そのように身体が伸びていったんだと思う。