2023 0525

お金を実家に入れたというだけで、養う養われるという関係から脱却して、親と対等な存在になった気になってしまう。仕事が終わり家に着いたら、まずはスーツを脱いで部屋着を着る。それからチョコクッキーを食べる。リラックスしたい時にはお菓子を食べる。というか、お菓子を食べる流れに入ることで、一息つくことが可能になる。糖分を摂取することで得られる幸福感と、「今からお菓子を食べる時間に突入できるんだ俺は」という開放感がある。今日は、庭に面した窓のサッシに腰かけて、足を外に出してクッキーを食べた。ついでに、庭で飼っている鶏を小屋から出してやった。鶏は、物欲しそうに菓子を頬張る僕の方へ近づいてきた。白菜の切れ端をわけてやった。暗くなってきたから鶏を戻して、自宅を出て最寄り駅の方に向かった。所用を忘れていたからだ。本来は、仕事終わりの足で済ませるべきだったが、先延ばしにすることもできなかったため、再び駅に向かった。行きの道中だった。自転車に乗った女がすれ違いざまに「クソが」と言った。「おい」と言って振り向いた。振り返ったころには、女の背中が遠くに見えた。女の暴言は、対向車である僕がいたために走行したいルートに進めなかったことに起因すると思う。言われた瞬間は、驚きが最初に来た。その次に、ガンバレルーヤのよしこが浮かんできた。長野で立てこもり事件が起きたらしい。「クソが」と言った女と、立てこもり事件を繋げるわけではないけれど、「そういう社会」になりつつあるんだろうと適当なことを思った。フラクタル