2023 0426

自分を見ていて、日々に意味とか意義を見いだそうとしすぎていると思う。昨日はゼミの先生に関西に戻ってきたことを伝えた。「嫌われているかも」とか「馬鹿にされているかも」と想像を暴走させる前に、伝えるべきことがある。励ましてくれたり手伝ってくれた人が大勢いる。これまで多方面に対して義理を欠きつづけてきたわけだから、少しずつマシになっていくことができたらと自分に期待する。今日、自分の知っている話題でテンションが上がって喋りすぎてしまった。この年齢でやることじゃない。相手の「あぁ」という反応を見て気づいた。遅い。

 なんか、自分の内省に嫌気が差してくる。内を見つめるのは良いことってよく言われるし、実際に自分自身もそう信じている。けれど、内を見つめることだけにある種の満足感もある。このブログも、自分や他者にの関しての何かを毎晩分かって気にさせてくれる。内に目を向ける間も与えないような、頭を後ろから思い切りしばかれるような、体験をどこかで待っている。そんなもの無いかもしれないし、自分の思っている形で起きそうに無い気がする。

 ここ数日、全く吟味せずに文を書いている。吟味することも大事だし、とにかく出るだけ書くのも良い気がする。「気がする。」を多様している。舐めんなよ。