2023 0303

①今日こそ、鳥取を出ようと思っているその旨を話そうと心に決めていた。結果、対面すると自分の胸中を伝えることがでなかった。こんなことを日記に書いたところで仕方がないと思う。この1年で「やってみたけれど今の自分ではピンと来なかったな。」という体験ができたから、そこは良かったと思う。この1年間を、血縁関係のない人たちとひとつ屋根の下で暮らした。シェアハウスは無理だろうと予想は出来ていた。大阪で1ヶ月、過してみて合わないことが分かっていたからだ。シェアハウスは南森町にあった。自室の窓を開けて見える景色は、隣のマンションの排気口だった。当然、晴れ晴れとした気持ちにならない。結局のところ、実家の楽さを選んだ。同様に、鳥取から、すぐに逃げ出さないかと自分を見張っていた。意外にも、1年間住めてしまった。鳥取という場所が容易に関西に戻ることを阻んだのも手伝った。あとは、「自分の生活を自分でつくるんだ。」という意気込みもあった。 

  

 ②生活するなかで誰かの気配があることは必要だと思う。だが、それが独りになりたい時になれない苦しみを生む。「融和/切断」のどちらかに生活態度を決め込むのではなく、両方の行き来が必要だと思う。他人と時間を過すと同時に、個人の時間も失わないという反復横跳びを大切に思っている。その塩梅を探っていく必要がある。シェアハウスだと、切断する(ひとりになる)ことに工夫が必要で、それが面倒だった。一年間、他人と一緒に住むと、相手に対する認識も少しずつ、修正されたり強化されたりする。たぶん、それは相手のなかでも起きている。「素敵だ。敵わないな。相変わらずだな。難しいな。」がかなりの密度で起きる。他人と一緒に住むことはこの先無かったとしても、友達や知り合いで、互いの家が徒歩10分圏内のところで生活できれば結構楽しいと思う。福島から天王寺の間で住めたら楽しいだろうな。福島も天王寺も好きだから、そこに住んで嫌なことがあったら、その町そのものを嫌いになってしまいかねないリスクもある。想像では楽しそうだ。だけれど、「この暮らしって会社勤めが前提にあって成り立つものよな。明日にでも辞めたら住めなくなるなぁ。」とか考えたりして落ち込みそうだ。

 

 ③自己の実存に関わる部分(今だと、関西に帰ることを伝える)を言葉にして人に伝えることには困難がつきまとう。去年から一貫してこのことに向き合ってきた。自己定位して言葉を紡ぐときにいつも酷く疲れる。言いたいことを言わないと後にもっと疲弊することになる。火消しみたいな日々が続きそうだなと思う。関西に帰るではなく鳥取を出る。