2023 0818

 19時過ぎに仕事を終えて、たまたま電車が同じだった母の車に乗って自宅に帰ってきた。父と母はまだ仕事が始まっていない。僕は、昨日から普段通りの生活に戻った。仕事が終わって家に帰ってからの時間が好きだ。この生活にも愛着が湧いてきている。ただ、家族が忙しくしていなくて帰ると家にいるという安心に癒やされているだけかもしれない。電車の行き帰りでジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像』を少しずつ読み進めている。スティーブン・ディーダラスという少年の神学校での日々が綴られている。裕福な家庭の子どもは神学校に通うというヨーロッパでの通例は、ヘッセの『車輪の下』で読んだことがあったので特に詰まること無く読めた。だが、彼ら(ヘッセ、ジョイス)のキリスト教への信仰について僕のなかであまりピンと来ていない。要は、キリスト教圏の人々の信仰へ距離感、習慣、風土にまで想像力を伸ばせていないと言える。古典と言われる作品を読んでも、今日的な理解に留まってしまいそうで、そうなると勿体ないと思う。仕事中に少しサボって「テクスト」とgoogleに入れてみた。すると、こう出てきた。

 「テクストを、それを産みだした歴史的コンテクストに置きなおしながら、一語一語の意味を確定し、さらには同時代の資料を駆使してその意味をふくらませてゆくこの過程は、独りよがりの恣意的な解釈に陥らないためにも必要不可欠である。しかし同時に、テクストに刻まれた危機的状況が、現在もなお力を失わない出来事と感じられるのでなければ、そうした作業は瑣末な実証という迷路に入り込むだろう。したがってもう一つの作業、テクストのなかで現在もなお意義を失わない部分に光をあてる作業が必要となってくる。現代の「知」を逆照射することによって、作品のはらむアクチュアリテを汲み取る過程も、テクスト読解に必須の要素なのだ。」

東京大学フランス語フランス文学研究室 (http://www.l.u-tokyo.ac.jp/futsubun/shingaku_01.html

管啓次郎さんの『本は読めないものだから心配するな』で「テクスト」という概念を知ったからこの文章に辿りつけた。

『若い藝術家の肖像』に話を戻そう。まだ100ページを越えたあたりまでしか読めていないけれど、好きなシーンが2つある。1つ目は、叔父と散歩ついでに行った運動場でスティーブンがランニングをする場面、2つ目は父親であるミスタ・ディーダラスに声をかけられた主人公の弟が兄である主人公の方を見て、ニタッと笑う場面。newjeansのハニさんが過ぎった。