2023 0627

ヘルダーリンのことを念頭におきつつパラフレーズするなら、次のように言い換えられるでしょう。統合失調者は、自分が生きる世界の経験がやせ細り、水平方向の他者たち(隣人)との交わりや繋がりが不十分になっているにもかかわらず(そして、不十分であるがゆえに)、「神の似姿である人間の理想とは何か?」「父であるとはどのようなことか?」「主体とは何か?」といった、水平方向との釣り合いを欠いたーーがゆえに墜落を運命づけられているーー「思い上がった」垂直方向の問いを主体的な決断によって解決しようとするのです。もちろん、この「思い上がった」理想の追求は状況の解決にはまったくならず、むしろ越えることも破ることもできない「壁」を作り出してしまい、患者は理想追求以前の状態に戻ることすらでいなくなってしまいます。その結果、統合失調症者は二者択一のうちの受け入れがたい方をどうにかして隠蔽しようとしますが、自ら追い求める理想が思い上がったものになればなるほど、この二者択一のうちの他の側面、すなわち理想と矛盾し、理想を拒否し抑圧する側面が猛威をふるうことになります。最終的に、現存在は降伏し、他の側面に自己を委譲することになりますが、ここにおいて一方的な他者性が優位になり、患者がかつて理想としていた審級は彼を迫害すものに変貌して、彼の主体性は他者に剥奪されてしまいます。これが統合失調症の諸症状をおりなす人間学的な基礎である、とビンスワンガーは考えたのです。」

      松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』 p,190-191